No. 737 / 黄色い馬車と魔巻(ままき)

 


究極の快感は、極端な「抑圧と解放」を経て初めて獲得できる。------ドニー山村(48歳・無職)

わが師・ドニー山村氏の提唱するところの「抑圧と解放のセオリー」とは何なのか。
「究極のアウトドア」実現への重要な要素ですから、まずはそこから、分かりやすい例を挙げながら説明しましょう。

大 きめのギャグボールを咥えさせられた上から通気性ゼロのラバーマスクを被せられ、後ろ手に手錠を掛けられつつ首には雑種のワンちゃん用の首輪&鎖、女王様 のヒールが後頭部にめり込んでいく音を聞きながら、「このクソ汚らわしいクソ雑種のクソブタめ!さあ『私のクソ背中にクソ画鋲をクソ根元までクソ刺して下 さい』とお願いするんだよ!」と、ええ、女王様の命令は絶対ですから、素直に「背中に画鋲を根元まで刺して下さい」と言おうとするものの、アゴを限界まで 押し広げるギャグボールのせいで、汚いヨダレをダラダラとこぼしながら「えああいあおおおえおおあえ…」となってしまい、それに激高した女王様のハイヒー ルの尖ったつま先が、ありえないスピードと深さでお尻に突き刺さる…、誰しもそんな甘酸っぱい経験があると思いますが、そんなハードなプレイが終わった直 後に、コジャレたカフェのソファに沈みながら、柔らかい陽光を浴びて飲むジャスミンティーは、まさに甘露。
「さっきまで死にかけだったのに…暗く冷たい床に転がる白ブリーフの家畜だったのに…『僕ちゃんバカです』と書かれたクソ紙をクソ背中にクソ画鋲でクソ貼り付けられていたのに…、でも、ああ、今、生きてる、俺!イケてる、俺!」
一杯600円のジャスミンティーを心ゆくまで楽しむために、カフェの前戯としてSMクラブで90分2万円の苦行を積む、それが「抑圧と解放のセオリー」です。
コンクリートの床で背中を擦り剥きながらさんざん足蹴にされ、ひとかたまりの肉として過ごした惨めな90分…、その全てが、平凡なジャスミンティーを至高の美味に変える、ひたむきで美しい努力なのです。
じゃあアレかい?最高のジャスミンティーを楽しむためにはSMクラブで汚らわしいブタにならなきゃなんねぇってのかい?と聞かれれば、残念ながら「イエス」と答えざるをえません。
ちなみに、オシャレなカフェで昼下がりのひとときを楽しんでいる男性の約3割は、ついさっきまで汚辱にまみれたブタだった、と考えて差し支えありません。

…少々例え話が長くなりましたが、これが「抑圧と解放のセオリー」であり、このセオリーを実践することで「究極のアウトドア」が実現可能なのです。

まず、本題である「究極のアウトドア」への導入として、いわゆる一般的なアウトドア野郎のイメージについて。
チェッ クのネルシャツにバンダナ、ヒゲを蓄え、休日が近づくとバーベキューセットの手入れに余念がなく、恥ずかしげもなくアコギを弾きながらフォークソングを歌 い、下らないジョークにも豪快に笑う。「男なら」が口グセで、無理して生焼けの肉を頬張り、脱糞後のケツの拭き方がいまいち甘い、などの特徴も見られま す。お口もほんのり臭います。
野グソを肯定し、夜がくればキャンプファイアーを囲んで弾き語った後、満天の星空の下でワッシワッシと青カンに励んだりもします。
こ ういう鼻毛野郎の頭にあるのは、「抑圧と解放」の「解放」だけであり、だからこそ、人前で大きな鼻クソを取り、誰も聞いていないのに、「なぜ鼻クソを取る かって?そこに鼻クソがあるからさ」とド派手に笑い、とにかく「アウトドア」や「自然」に絡めれば全てが許される、と迷惑千万な思考回路を持ちうるわけで す。
余談ですが、「婚約者がアウトドア野郎かもしれないんです…」と不安になっている貴女に、簡単な見分け方を教えましょう。彼氏の大学時代の同 期生を集めて、大学の校歌を歌わせてみます。肩を組みながら体を左右に振り、野太い声で校歌をがなり倒したら、残念ながら彼氏は「黒」です。これで「軍 歌」までレパートリーに入れば完全な変態です。

ではいよいよ、「究極のアウトドア」の実像に迫ります。
「抑圧と解放のセオリー」をベースに考 えてみると、長年に渡って徹底的な停滞・閉塞感の中に身を置き、幻覚・幻聴、どうやら俺の母親も米軍のスパイとして俺を見張ってるようだ、と思えるまで部 屋に引きこもった末、満を持して大自然へ飛び出す、これこそが「究極のアウトドア」なのです。
屋外の空気を胸いっぱいに吸い込んだ瞬間にとめどな く溢れ出すヨダレ。20年ぶりに見るリアル青空。米軍スパイのはずの母親が、俺のために目の前で焼いてくれる米軍仕込みのバーベキュー。久しぶりに会う親 族一同。高校生だったイトコは2児の父となり、引きこもった20年の間にハゲ散らかってしまった俺の頭を爽やかに見下している。隣部屋から妨害電波を送り 続けてきた妹も、十数年ぶりに会う兄を暖かく無視してくれる。父親に至っては、俺を名字で、しかも「さん」づけで呼ぶ始末。ああ、大自然!もう、信じられ るのは大自然だけだ!
「究極のアウトドア」が現実のものになった、感動的な瞬間です。

さあ、部屋のドアに鍵をかけて、究極のアウトドアを目指そうではありませんか。